鈴木あきら「羽入-折原論争への応答」
2004年3月8日
(以下のメールは、鈴木あきら様から橋本に宛てられたものです。掲載に当たって鈴木様から、「この人は素人だから、いきなり噛みつかないように、と(笑)」のアナウンスメントを頼まれました。皆様、どうぞよろしくお願いいたします。)
初めてメールを差し上げます。
私は東京で小さな広告製作会社を経営しております、鈴木あきらと言います。
今回、突然メールを差し上げたのは他でもありません。
貴兄のHPにある羽入-折原論争の頁を興味深く拝読したからです。
私は上述のように小さな広告会社の経営者であり、
学者でもなければヴェーバーの研究者でもありません。
さらにいうなら、羽入氏の「マックス・ヴェーバーの犯罪」を読むまで、
ヴェーバーの「倫理論考」(羽入本にならいます)を読んだことすらない、
まったくの一般読者(ちなみに年齢は50歳)です。
で、ヴェーバーの「倫理論考」ですが、若い頃からその書名は知っており、
何度か挑んだことはあるのですが、あまりに難しいので、
そのたびに途中で挫折した経験を持っています(笑)。
で、今回、たまたま書店で、
羽入氏の「マックス・ヴェーバーの犯罪」を見かけて購入し、
家に帰ってから、さっそくベッドの中で読み始めたのですが、
いやぁ、これが実に面白く、
できのいい推理小説を読むようにワクワク、ドキドキしながら、
一気に、最後まで読み通しました。
私はもともとこういう推理小説仕立ての読み物が好きなんです。
推理小説仕立てというところがミソで、本物の推理小説はあまり好みません。
あくまでも推理小説仕立てが好きなんです。
例をあげれば、高田衛氏の「南総里見八犬伝の世界」とか、
中野美代子氏の「西遊記の秘密」というような奴です。
それまで慣れ親しんできた物語世界や厳然と存在する論理構造を
一つひとつ突き崩していく中から、最終的にどんな新しい世界が顔を覗かせるのか。
それをワクワク、ドキドキしながら読んでいくのが好きなんですね。
今回の「マックス・ヴェーバーの犯罪」も同様でした。
羽入氏の緻密な論証は本当にスリリングで面白く、最後まで興奮しっぱなしでした。
で、何が言いたいかというと、
羽入本を読んで興奮している私は、
にもかかわらず「倫理論考」を読んだことがないということです。
本家本元の「倫理論考」を読んだことがないのに興奮して、十二分に楽しんだんです。
これ、どういうことなんでしょうか?
ようするに、羽入氏の本が面白いということと、
マックス・ヴェーバーとはあんまり関係ないんですよ。
極端に言えば、羽入氏が「犯罪を暴こうとする対象」が、
マックス・ヴェーバーでなくても、羽入本は成立したって事です。
もちろん、マックス・ヴェーバーぐらいの名前がないと、
誰も手にはしないでしょうが。
羽入本が売れたり、評価されているとすれば、
それは検証の内容というより、
検証の手つき、書き方の芸でしょう。
たとえば、かつて一世を風靡した書籍に、
竹内久美子氏の遺伝子シリーズがありました。
人間の行動は、すべて利己的遺伝子が決定する、という例のあれです。
彼女の登場も、最初はショッキングなものでした。
なにしろ、男が浮気をするのも、
子供を作らない夫婦が姪や甥を可愛がるのも、
すべては利己的遺伝子のせいである、なんて論理展開をされれば、
誰でもびっくりします。
しかもそれを書いているのが、
高名な動物行動学者である日高敏隆氏の女性のお弟子さんとくれば、
なにやら正座する気持ちになりますよね。
でも、ちょっと読みすすめれば、
それが学術的な分子生物学や遺伝子学からすれば、
ずいぶんとアクロバティックで、
奇妙な論理展開だということが、
すぐにわかります。
実際に、竹内氏の著作も間もなくそのように取り扱われ始めました。
今では誰も竹内氏を、動物行動学者に連なる文脈で捉えている人はいないと思います。
しかし、にもかかわらず、現在でも竹内ファンはたくさんいますし、
週刊誌で人生相談をするほどに、人気も衰えていません?私も彼女のファンであることに変わりはありません。
どうしてでしょう?
彼女の人気は、彼女の持つ学術的な知識や理論にあるのではなく、
彼女の話芸にあるからであり、読者も十分にそのことを知っているからです。
竹内氏も登場の頃は文章も硬く、論理展開にもぎこちないものがありました。
しかし、2冊3冊と著作を重ねていくうちに、
その語り口は見事に垢抜けていきました。
私は彼女の著作を、
例によって推理小説を読むようににワクワクしながら愛読しつつ、
ちょうど3冊目辺りで、
「あ、うまくなったなぁ。語りが芸になった!」
と感心したものでした。
私は、今回の羽入本もその文脈で楽しみました。
なにしろ、ヴェーバーの「倫理論考」を読んでもいない私を、
ワクワク、ドキドキ興奮させてくれるんですから、
羽入氏の芸は、それだけで大したもんです。
もちろん、その芸の中には、例の「はじめに」も入ります。
あの強烈な「女房の話」があったから、私のような素人でも、
ゲラゲラ笑いながら読み始めることができたんです。
で、問題は読後です。
羽入本を読んだ私が、
「なんだ、マックス・ヴェーバーって、詐欺師だったのか」
と、「倫理論考」を読むことをやめれば、それは確かに問題でしょう。
でも、私は羽入氏の検証を手がかりに、
今度こそはなんとか最後まで「倫理論考」を読んでやろうと挑戦し、
遂に最後まで読み切ったのです。
もちろん、素人のことですから、理解の度合いは別にして、ですが‥‥。
また、ヴェーバーが二次資料にしか当たっておらず、
その引用にも問題があった。
だから、ヴェーバーを希代の詐欺師だと思ったかというと、
そんなことはありません。
逆に、辞典一つでここまで想像力の翼を広げることのできるヴェーバーの才能に、
改めて感動したくらいです。
ですから、当然の如く、
他のヴェーバー研究者の著作を否定的に捉えたりはしませんでした。
なにしろ、羽入氏自身も繰り返し語っているように、
彼が「詐欺だ」と言っているのは、
ヴェーバーが一次資料に当たっていないにも関わらず、
いかにも一次資料を子細に検証したように書いてあることなのであり、
「倫理論考」じたいの論理展開については、
何も触れていないのですから。
で、貴兄のHPにおける専門家諸兄氏の憤り方についてですが、
私には逆に、専門家諸兄氏の憤り方が、少しばかり傲慢に写ってしまうんですね。
なぜ、彼らはもっと自分の仕事と読者を信頼できないんだろう。
たとえば、折原さんという方(ごめんなさい。私は氏を存じ上げないのです)は、
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羽入書は、当のマックス・ヴェーバーを「詐欺師」「犯罪者」と決めつけており、か
りにその主張が正しいとすると、山之内氏は、『詐欺師入門』の著者ということにな
らざるをえません。そんなことを山之内氏がお認めになるはずはない、かならず反論
がおありだろう、しかしそれを「胸の内」にしまっておかれたままでは、しだいに
「いったいどうなっているのか」という戸惑いが広がってくるし、とりわけ氏の『入
門』によって文字どおりマックス・ヴェーバーに入門した(定義上初心者の)読者の
戸惑いは大きく、『入門』執筆の折角のご努力も仇となりかねない
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と書かれていますが、読者って、そこまで馬鹿じゃありませんよ。
逆にこういう感情的な文章を読むと、私などは逆に、
「学者という連中は、所詮、読者をそのレベルまで見下してモノを書いているんだな」
という感想を持たざるを得なくなってしまいます。
読者はきちんと自分の判断で書籍を購入し、
自分の判断で読み、
自分の判断で放り出したり、大切にしまっておいたりするんです。
読者は、何も、その本を読んだからって、
著者に依存して生きているわけじゃない。
山之内氏の「入門」と羽入本の両方を読んだ読者が、
「いったいどうなっているのか」と戸惑い、
「入門」を読んだ努力が無駄になってしまうと狼狽えている‥‥。
そんな馬鹿げたことを折原さんという人が考えているとすれば、
それこそ思い上がりというものでしょう。
仮に、仮にですよ、
そんな愚かな読者がいるとすれば、
それはその著者の力量に見合っているということでしょう。
少なくとも私は、羽入氏の芸も楽しんだし、
お陰で「倫理論考」を読み通すこともできた。
「あ、もしかしたら、これ、専門家同士が大騒ぎしてるかもしれないな」
と思ってインターネットを検索して貴兄のHPにたどりつき、
貴兄の研究業績と写真に接することもできた(笑)
おまけに私は、このサイトで名前を知った折原さんの、
『ヴェーバー学のすすめ』もさっそく注文したんです。
本当にメデタシ、メデタシじゃないですか(笑)
折原さんも、雀部さんも、かなりご高齢のようで、
それだけ長い間一心に研究してこられたのでしょうから、
お気持ちもわからないことはないのですが、
でも、もう少しご自分の仕事と読者を信頼し、
どっしりと構えられてもいいのではないかと思います。
羽入本一冊で、世界が変わるわけではありません。
というと、今度は羽入氏がガックリされるかもしれませんが(笑)
折原さんや雀部さんが、早く枝葉の議論から離れ、
貴重な時間を本来の研究に使われることを願っております。
突然のメールで長々と、失礼いたしました。